女の子について考えてみる
女の子で楽しかったなって思うことと女の子で苦しいなって思うことは半々くらい。
楽しかったなって思うのは化粧をおぼえたこと。
でも、これはもう男の子もできることだよなと思う。
苦しかったのは、生理と圧。
生理は体の構造であるが故に免れない。生理をわかろうとする男の人の動きもいっぱいある。
圧は社会的圧、というか空気感。
理系に進むときに父親に散々リケジョって言われたのがめちゃくちゃ嫌だった。なんでリケダンとか言わないのに、女子だけ珍しいからと名前をつけられないといけないのかとキレてた。父親は一回も理解してくれなかった。ずっと何言ってんだ状態で、気が良くなるとリケジョと呼んできた。母親はたしかにと言ってリケジョっていうことはなくなった。
すごく小さなことだけど、こういうことから、男女について考えることが増えた。
多分、こういうこと言ってもわかり合えない人は一定数いてるけど、読んでわかってくれる人だけでも女の子について考えてくれたらいいと思う。全部私の意見だから考える種くらいにおもってほしい。
男女平等にという言葉を聞いたときに、無理だっていう人は一定数いる。父親みたいな人間。こういう人はだいたい勘違いしてて身体的特徴の男女差から得意不得意があるとか言ってくる。
男女平等は権利の話なので、別の話なのよ。
女の子は料理できないとって言われること、聞いたこと一回はあると思います。私は父親に言われた。
私はなんだそれって思った。女の子じゃなくてもできないとって思いますよ、私は。って思った。
女の子は料理できないとの後にはだいたい作ってあげれるようにならないとって続くんですけど、旦那さんにらしい。要するに男のために女は料理を作れるようにならないと言われるんですね。
女のために男は料理を作れるようにならないとって言われたら、めっちゃいい話に聞こえる現在は少しおかしいんです。
これが普通の話に思える時代がきてほしい。
ご飯は自分のために作って自分を幸せにするもの。これは持論。
「あんたが宿題なんかして珍しい!!えらいわ〜(毎日言わんでもしてほしいもんやわ)」と大差ない思うねんな。
女性の人権の話すると性的の搾取についての話がよく出てきますね。
性的搾取ってなんなのかておもうんですけど
女であればなんでもいいものは搾取な気がする。そこに当人の気持ちや権利はなくて女という性別だけ切り取って搾り取ってるのは性的搾取。
よく問題になる、女の子のキャラクターとかに性的な魅力を感じることは、そのキャラクターに対するものであり、女であればなんでもいいってわけじゃないとおもうんだ。これはオタクとしての意見なんですけども。
結論としては、何気なく使われている女だからって言葉は男女平等を遠ざけているということが言いたい。
男だからって言葉もあるとおもいます。こういう言葉もきっと男女平等を遠ざけているんだと思うけど、女性が差別を受けていた期間が長くてその分女だからという言葉がもつ威力が大きいのかなと感じます。もっと1人1人の人間というものにみんなが向き合って、男女なんてくくりがなんて生物的なものだけだったのかとなればいいとおもいます。